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<<   作成日時 : 2018/04/25 17:17   >>

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「衝激・21」賈思樂(Louis Castro) トークショー
司会は何思穎

友人がトークの内容をレスリーに関する部分のみ文章に起こしてくれましたが、広東語を訳すのは大変で、間違っているところも多々あるだろうと心配しています。それでも出来るだけトークショーの雰囲気をなぞって書いてみたいと思います。
(実際に現場にいなかった自分ですが、友達と協力の上、記事を書かせてもらいます。)

まず、映画の中のファッションについての話題が出ました。
ルイ:映画のスポンサーになっている服ブランドはロマノといってクレジットにも出ている。
そういった高価な服は自分のお金で買うのは無理なので、映画会社の人に都合してもらうのだが、映画会社の方でもどのブランドもOKとは限らなかった。
それではどうやって入手したかは、レスリーにお礼をいわなくてはいけない。
当時からレスリーはファッションブランドに詳しくてブランドの会社の社長さんや店のオーナーをよく知っていた。
そんな社長さんの一人がたまたまレスリーのファンで、レスリーがその人に何かが欲しいと言うと「得得得得」と即提供。
さらにレスリーはその人にルイ賈思樂やポール・チョンのスポンサーにもなるように勧め、それも「得得得得」と即OK。
皆が欲しい物があれば毎回「いいよ、僕に任せて」とゲットしてきた。

何思穎:本当に「好兄弟」ですねー。

ルイ:その通り。いい服を着られたのはレスリーのおかげ。感謝している。

何思穎:この映画を撮った時、あなたとレスリーとポール・チョンは大変仲良しだったときいたが?

ルイ:はい。まずレスリーの事を話すが、最初レスリーとはデビューの頃、獅子山下(十五十六のこと?)の撮影で出会った。知り合った当時レスリーが周囲に与えるイメージは、クールで奔放、機転が利く、といったものだった。
(…この後少々不明。)

ルイ:獅子山下の撮影は7日間だけで、その時はまだレスリーの事はそこまで知らなかった。
獅子山下が出てまもなく(?)「衝激・21」を一緒に撮る事になった。衝激・21の撮影は数か月、毎日のように会ったので、友達にならない方がおかしかった。
僕とレスリーには共通点があって、綺麗な物が好き、いい物を食べるのが好き、仲間とつるむのが好き、それですごくウマが合った。
ポール・チョンは必ずしも綺麗な物が好きとか、素敵な店で食べるのが好きとかではなかったが、彼は映画を観るのが好きだった。僕も映画は好きだからそこでまたウマが合った。
その頃はいつもみんなで会って飲茶をしたり連絡を取って集まっていた。
この映画の撮影中、よく覚えてるのが、昔はインターコンチネンタルがリージェントで、その頃のスター達は皆、どこに入る?と言うとリージェントだよ〜と答えるほどで、リージェントでお茶できるのはビッグスターのようなレベルになってから、という感覚だった。
レスリーとよく話していた。もし経済力(?)があったら、それぞれベンツのオープンカーを運転してきれいな××(服?聞き取れず)でリージェントに一緒にお茶しに行けたらどんなにいいだろうね、と。
当時の話は僕たちの夢だったが、何年も何年も経った後、僕はついにベンツを買う事ができた。
でもその頃にはレスリーはもう居なかった。少し残念に思う。
ある時、不思議だけど、レスリーと僕の約束が蘇ったかのような瞬間があった。
今はもうリージェントとは呼ばないインターコンチネンタルに車を運転して一緒に行くという、結局かなわなかったあの約束だ。
僕は自分のベンツの幌を開けてリージェントに停めた時、車を降りもせず、独り言を言うかのように彼に話しかけた。
「さあ着いたよ、君は居ないけど。でも気にしないで。今度は僕が天国で君のために運転しよう」
(観客拍手)

何思穎:面白いのは、リージェントであって、ペニンシュラじゃないんだね。

ルイ:リージェントの方が若いんだよ!ペニンシュラに行こうと言われたら、「やめてよ〜。リージェントでお願い〜」みたいな感じだった。

何思穎:今は内地から観光客がやって来るとペニンシュラでアフタヌーンティーが絶対だけど、レスリーのファン達は向かいのリージェントに行く方がいいね。

ルイ:昔もペニンシュラの方が高かったけど、今のペニンシュラは若い人ばかりで変わってしまったね。

(この後しばらく雑談が続く。
後半はかなり言葉が聞き取れず、だいたいこの様な事を話していたと要約するにとどめておきます。)

レスリーとルイは二人とも歌唱コンクール出身で最初は英語曲を歌っており、レスリーはデビュー後不遇の時代があったが、その苦労を忘れなかった。
「風継続吹」や「モニカ」が爆発的にヒットした時も、調子に乗らなかった。
自分の人気を当然とは思わず、どの仕事もありがたく貴重なものととらえて謙虚に取り組んでいた。
これは今の若い芸能人が大いに学ぶべき点だ。そしてルイ自身も、何があってもすぐに諦めてはいけないという事をレスリーから学んだ。

注: 賈思樂は、当時の映画クレジットには賈斯樂とありますが、どちらの字もそれぞれ使っていた時期があるよう
です。父ポルトガルと母中国のハーフのマカオ人だそうです。
「衝激・21」のラストでスーパーの中で銃乱射してキレちゃった青年役をやった人です。
こんなキレる役なんてやったことが無かったので、この役が来て嬉しかった、と言っていました。
現在も歌手、俳優、DJなどで活躍中です。


友達も広東語のネイティブではないので、これが精いっぱいだそうですが、それでも間違いがあった場合はご容赦くださいと申しております。
でも、Aliceちゃんに感謝します。私だったらここまで覚えていられなかったです。
多謝。

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